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南シナ海諸島の歴史的変遷(史料)

page image2014/09/09
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 南シナ海諸島の歴史的変遷(史料)

                               201499

 

一九0七年   日本人西澤吉次東沙島に侵入。

 

一九0九年  清朝外務部は,袁樹勛両広総督をして日本の総領事と「東沙島返還条例款」を締結した。

張人駿両広総督は李準水師提督を派遣して西沙群島を調査させ,清朝朝廷に東西沙島の管理をさせるよう要請しした。

一九一0  広東省東沙島物産開発を試みる。李準カントン水師提督,張人駿カントン総督の命令を受け,東沙および西沙群島を調査する。

 

一九二一年   カントン政府は商人何瑞年の西沙群島実業会社設立を許可し,西沙群島の磷鉱を開発する。

 

一九二五年   外交部,日本の公使に,許可のない限り,東沙群島で漁獲はできない,日本の漁民が一日も早く東沙群島から引き下がるよう要求し,越界漁獲は許さないと告げた。

海道測量局は東沙島で気象台を設け航海灯タワーを作った。

一九二六年  東沙および西沙島は海軍軍事区域にして海軍の管轄である。海道測量局は西沙島に気象台を設立した。

 

一九二八年   カントンの中山大学とカントン南区善後公署は西沙群島を共同調査する。

 

一九三O    ホンコン・ファーイースト気象会議は,我が国に西沙島およびミクラスフイヒン島(今日の中沙島)に気象台を設置し,安全を期したい事を要請している。

 

一九三二年   フランス外交部は,我が駐フランス大使館に七州島問題を提出し,我が外国部は改めて主権を表明した。

一九三三年   フランスは南海九小島を占領したが,外交部は海軍に連絡して軍艦を派遣して防衛に当たり,フランス政府と交渉を展開した。

 

一九三五年   水陸地図審査委員会は,「中国南海各島嶼華英名対照表」を審査 し,その雑誌第一号にそれを掲載した。水陸地図審査委員会は「中国南海各島嶼図」を作り,第二号会誌に載せた。

 

一九三七年   日本東、西沙群島を占領する。

 

一九三九年   日本の台湾総督府,第百二十二号告示を出して,新南群島を(今の南沙群島の一部分)を高雄州高雄市管轄にした。

 

一九四五年   台湾省人行政長官公署気象局,人を派遣して西沙測候所を接収させる。

 

一九四六年   海軍総司令部派遣の最初の気象観測員グループ東沙島に到着。

行政院,広東省政府に東、西、南沙群島接収を命ずる。

内政部,南シナ海諸島接収会議を召集,南シナ海諸島の位置略図を制作。

蒋介石主席,陳誠参謀総長に陸軍を派遣して東、西沙群島の防衛する事を命ずる。

蒋介石主席,「西沙および南沙群島に一小隊の兵を派遣し,テントを張って防衛せよ。一月以内に派遣すべし,遅滞を許さず。巡察も同時に行なうべし」。

姚汝鈺海軍大佐は永興艦および中建艦を率いて西沙の永興とうに至り,西沙群島の接収の任務を終える。

林遵海軍大佐は,太平艦および中業艦を引率して南沙太平島に赴き南沙群島接収の任務を終える。

 

一九四七年    フランス軍バットウ島(今のサンゴ島)に上陸する。蒋介石主席は外交部に講義をを命ずる。

国民政府は西沙群島の各島を派遣して接収した軍艦名をその島の名前に改める。すなわち武徳島は永興島、長島は太平島に改めた。

海軍は東、西、南沙群島を管理し,同時に東、西、南沙管理処をもうけた。

内政部は南海諸島新旧名称対照表および南シナ海諸島の位置地図などを行政院に提出し,国民政府の許可を得ている。内政部は南シナ海諸島各島の名称を公布している。

 

一九四八年   わが国の経済部は広東省西沙群島の林島および石島を国営磷鉱区に指定した。

 

一九四九年   米軍は太平島に行き,事故飛行機および飛行士の調査を行なった。

総統は「南海区行政長官公署組織条例」の作成及び公布を命令し,南海諸島は南海特区の管轄となり,海軍が代わりに管轄した。

 

一九五二年   わが国は日本と平和条約を結び,日本は台湾澎湖群島、南沙群島および西沙群島のあらゆる権利、名義および請求権を放棄した。

 

一九五五年   フイリッピン空軍は南沙島礁を偵察したが,外交部は国防部に南沙群島に軍隊を派遣するよう提言した。米国大使館秘書官がわが国の南沙群島の領土権につて問いただしている。

 

国際民間航空組織太平洋地区飛航会議第一回大会は,わが国に対して南沙群島の気象資料を補充するよう要請した。

 

一九五六年   フイリッピン・クロマ兄弟は勝手に南沙群島に上陸し,占領宣言を発表した。

海軍立威特派遣支隊南沙群島太平島、南威島および西月島について:蒋介石総統は軍隊を派遣せよと命令した。

海軍威遠特遣支隊は南沙太平島に進駐し;海軍は東沙、西沙守備区を成立させた。

ベトナム人が勝手に南沙群島に上陸した事に対して,外交部は講義を申し入れた。

海軍特遣支隊南沙群島偵察隊は北子礁でフイリッピン海軍学校の訓練船船長フイレモン・コロマを逮捕した。

ベトナムは南沙群島を彼らの領土に組み入れたが,我が駐ベトナム公使館はベトナム政府に対してわが国の主権を主張した。

 

一九五七年   我が駐フイリッピン大使館はニュース レターを発行して改めて南沙群島の主権を表明した。

 

一九五八年    行政院退役官兵雇用補導委員会は南沙群島の資源開発を開始した。

 

一九五六九年    海軍掦威特遣支隊は,南子礁においてレダ反射塔を設けた。

 

一九六O    台湾郵政管理局,南沙群島において郵政代弁所を設け,高雄郵便区の管轄とした。

 

一九六一年    米軍南沙群島ので測量を始める。

 

一九六三年    ベトナムは勝手に南沙群島の一部分の島礁に上陸し,わが国の南威島国碑文を破壊した。

南沙群島を偵巡する海軍揚威特遣支隊は,ベトナムが勝手に上陸して石碑を残していたため,海軍はそれを壊し,記録を残した。

 

一九六四年    海軍南沙群島の航道測量を行なう。

 

一九六五年   交通部民用航空局南鑰島国碑を完成。

 

一九七一年     フイリッピン我が南沙中業島、南鑰島および北子礁を占領。

ベトナムは黄沙(西沙)および長沙(南沙)

の主権を声明する。

 

一九七三年    ベトナム勝手に我が南沙鴻庥𡷊に上陸する。

 

一九七四年    ベトナム南沙群島の主権を発表する。

 

一九七五年     ベトナム黄沙(西沙)および長沙(南沙)白書を発表する。

 

一九七八年     フイリッピン勝手に南沙群島のに一部分の主権を発表する。

 

一九八O     マレーシア勝手に南沙群島のの一部分の島を占領する。

 

一九八一年    台湾中国石油,太平島で資源短さを始める。

 

一九八七年     東沙島の空港完成。

 

一九九O    行政院東沙島および太平島を高雄市管轄とする。

 

一九九一年    高雄市東沙島地籍を測量する。

一九九二年    内政部,行政院に「南海小組設置要点」を呈示する。

 

一九九三年    行政院「南海政策綱領」および「南海政策綱領実施綱要分弁表」を許可する。内政部は東沙島に衛星追蹤ステイションを設ける。

 

一九九六年    交通部郵政総局東南沙群島の切手を発行する。

 

OOO      行政院海岸巡防署正式に成立,東、南沙群島は行政院海岸巡署の守備となる。

「東沙、南沙地区」を重要管轄とする。

 

OO二年    高雄市政府は東沙群島領海外界線以内水域の水産動植物の採集を禁止する。

 

OO五年   内政部南海小組の業務は行政院の同意を得て,国家安全会議に移され,「南海小組設置要点」、「南海政策綱領」および「南海政策綱領実施綱要分弁表」は廃止された。

 

OO七年    内政部に東沙環礁国立公園を成立させる。これを高雄市政府は,南沙太平島海礁保護区とする。

 

OO八年   太平島空港滑走路落成。

 

O一一年     外交部改めて南海議題の立場を発表する。太平島太陽エネルギー光電システム正式にスタート。台湾中国石油,経済部に東沙島付近および太平島鉱区を設立。行政院海岸巡防署および国防部は「東沙巡礼ー海域安全および生態経営」ならびに「全民国防南沙研修営」を推進している。

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