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乙未戦争を忘れるな

page image2015/03/27
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 コメンタリー

ソース:中国時報

201503.27

 乙未戦争を忘れるな

大衆紙の中国時報は27日のオプイドページの寄稿で、乙未戦争を忘れるなと呼びかけた。 

乙未戦争(イツビセンソウ)とは、明治28年、下関条約によって日本への台湾割譲が決まり、台湾に上陸した日本軍に対して清国の残兵や一部の台湾住民が抵抗した台湾民主国の独立戦争である。 

歴史学者の張健豊氏の「乙未抗日秘辛を忘れるな」と題したコメンタリーの概略は次の通り。 

台湾当局は国際公法に則って台湾民主国を創建した。 1845(明治28/乙未年)5月、元来北京に赴く近衛第一師団を台湾に派遣、台湾征討を始めた。台北を占領した後、日本軍は….城内、万華、大稲埕、近郊の板橋一帯で、婦女を性暴行で犯し、其の地の人民の三分の二が内地に避難した。 

日軍は得意満面、追撃を始め、雲林、嘉義一帯の土豪簡精嘉は、日軍に投降したが、親族の夫人数十名に辱めを受けた後、郷民を集め、清軍と共に日軍と戦い故郷の大莆林を奪い返した。 

その後、日軍は彰化一帯で激烈な戦闘30回も繰り返した。…. その戦闘で、近衛第一師団長の北白川の宮能久親王、旅団長山根信成、連隊長中岡佑保は戦病死した。これ等高級将官は現在の雲林の忠烈祠に、以前(日本領台時代に)祀られていた。 

日本は1118日に、台湾全島を平定した後、これ等将官を戦死したのではなく、台湾の風土病で病死したと発表し、戦死した日軍兵士は僅か100余名であると公表した。 

然れども、その数年後、靖国神社に祀られた戦死将兵は1000人以上に達し、病死者は1万人を超すと公表された。此れで、日本の欺瞞が明らかになっている。 

120年後の今日、乙未戦争の真相は還元されるべきである。そして、台湾、大陸、及び日本の若き世代に戦争の残酷を認識させ、斯様な戦役が再発生するのを避けなければならない。

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